5年目の3.11.2016

こんにちは。
ご無沙汰しております。
今日は3.11ということで、それについてのブログを更新しようと思います。

もう5年も経つんですね〜〜。やっぱり記憶は少しづつ風化しているように思います。

2015年9月。青春18切符を手に、東北を旅していました。
7月8月と、富士山の山小屋で住み込みで働いていました。その時の空き時間を使って、鉄道の乗り継ぎを検索し
ルートを決めていきました。

世界を旅して思ったことは、自分の故郷「東北」をあまりにも知らないということ。
だから「今」を少しでも見ようと決めた。
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実際には乗り鉄のように移動ばかりだった。
石巻の駅近のおみやげビルの一角に飾られた、当時の様子の写真。
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気仙沼は町をあげて、復興しようという意気込みと活気が感じられた。

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まだ復旧していない気仙沼線、大船渡線をつなぐBRT。一部は線路を埋め立ててBRT専用道路になっていた。
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交通網は人々に希望を与える。とその時思った。都心にいると忘れがちなこと。
三陸鉄道の復興が熱狂的であることもよく分かる。
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陸前高田の更地。
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空中都市のようなベルトコンベアー。
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着々と建設が進む、海と陸地を隔てる高い防波堤。
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建設会社のプレハブが並ぶ。
宿も建設業者の人達が寝泊まりするところばかりで、女性ひとりが泊まるための宿を見つけるのに苦労した時もあった。

住む人が少なくなり、高齢者が守る地域もあるだろう。そんな所にめがけてなぜ津波は来たのか。
そんなことを思いながら、一週間の乗り鉄の旅を終えた。

外国人や、各地の日本人が富士山で消費したお金を給与として貰い
それを被災地域に宿泊費や移動費として使ってきた。これもささやかな復興支援。

肝心な福島の海沿い、立ち入り禁止エリアまでは行けてなかったので、今年は必ず行きたいと思う。

去年はチリにいて、ちょうどパタゴニアを目指して南下していたときにこの記事を書いた。

ブログはこちら。

今年はすでに帰国して、生活は落ち着いている。
変わったことは鎌倉に住み、結婚したことだろうか。

震災のあの日も、私の家族は福島にいたし、私は神奈川にいた。
あの壮絶な時間を、わたしは自分の家族と共有していない。
そこから道がどんどん分かれていった。
結婚して姓が変わり、そして福島に住むことは今後ないと思う。
状況的な決断でもあるし、意志のある決断でもある。
これから子どもを産み、育てるにあたってできる限りのリスクは避けたい。

親交がある友人夫妻もいる。彼らは福島で子を産み、育てる決断をした。そういう友人は多い。
福島に帰省した際は必ず訪れるほど仲が良い。
だけど、福島に住む・住まないの価値観はきっと違うだろう。

震災があろうとなかろうと、私は福島を出ていただろうと思う。
だけど震災があったから、そしてその場所に住み続ける肉親がいるから
捉える現実はずっと重い。

命の大切さを教えてくれた沢山の犠牲者の方に
大切な人がずっと元気で生きていてくれるとは限らないことを気づかせてくれた沢山の犠牲者の方に
14:46黙祷を捧げます。

東北出身であり、震災の影響を受けた友だち・家族を持つ身として
復興のためにできること、していきます。

 

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2016-03-11 | Posted in ブログNo Comments » 

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