パレスチナ問題を解説してみる。
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ついに、切り込んでみましょう。この問題について!!
パレスチナ問題です。
何もわからないわたしが、できるだけ分かりやすく説明してみます。
そこ、違うだろ!!って所があったら教えてくださいませ(´・ω・`)
パレスチナ問題って?
・ユダヤ人は国を持っていなかった。
はるか昔、ユダヤ人は今のイスラエルの土地に住んでいたが、争いから土地を追われることに。
「出エジプト」でエジプトに逃げるものの、捕虜になってしまったり。
そこでモーセが海をわって逃げるわけです。
そこからユダヤ人は離散民族に。
しかし「ユダヤ教」という厳しい戒律に守られて、散り散りでも
精度の高い信仰と、民族の結束、ネットワークを持つことができました。
他の民族と交わらないユダヤ人。どこの国でも、生きることができる強さ、優秀さ。
ある意味異質です。
そこの土地に住む人は、彼らのことを忌み嫌い始めます。
その最大の出来事。ドイツ軍のホロスコープ。ユダヤ人迫害です。
この迫害で多くのユダヤ人が殺害されました。
終戦後、ユダヤ人は「自分たちの国を!!」と国連に要求していきます。
世界的な流れから見ても、ユダヤ人に同情する人多数。
結果、ユダヤ人の国「イスラエル」を作ることになります。
問題は場所。
ユダヤ人はもちろん、元いた場所、エルサレムに国を作ろうと考えます。
しかし、その場所エルサレムにはすでにパレスチナの国がありました。
(イギリスの3枚舌外交とかあるんだけど、それは省いて、写真だけ貼っておきます)
(イギリスは仲介役を放棄)
・イスラエル建国
国連が、仲良く土地分けなさいねって仲介に入りイスラエルは国に、パレスチナは自治区になった。
その時、この自治区にもともと住んでいた人をパレスチナ人と呼ぶようになったのだ。
(日本でいうところの関西人とか東北人とか、そういうくくり。さらに西岸地区とガザ地区に別れる)
赤丸の場所がパレスチナ自治区。ヨルダン西岸と、ガザ地区に分けられます。
ヨルダン西岸の中の青丸、エルサレムはイスラエルの土地です。
黄色はテルアビブ。イスラエルの首都です。
イスラエル側は、エルサレムを首都にしたいのですが、国連の承認が降りず、テルアビブ。
パレスチナ人にとっても大切な場所、エルサレム。だから承認が降りなかったんでしょう。
・中東戦争のはじまり
初期のパレスチナ側の代表、アラファト議長。
アラファト議長は温和派で、イスラエルとうまくやっていたんだけど、死去。
その後に政権を取ったのが過激派のハマス。
ハマスがイスラエルとモメて、戦争が起きます。
中東戦争は今のところ全部で4回起こっています。
それはイスラエルと、その周辺のアラブ諸国の戦いです。
パレスチナもアラブ諸国のひとつだからです。
また政権がかわり、パレスチナ自治区の西岸はまたイスラエルと共存姿勢になる中
ハマスはガザ地区に立てこもります。
そんなわけで、西岸地区と、ガザ地区は同じパレスチナでありながら別の人物が指揮を取ることに。
いわゆるパレスチナ自治区(西岸地区)がツーリストが足を踏み入れてもOKなのはそういうことで
ガザ地区は一般人は、とてもじゃないけど行けないです。
2014年8月くらいからドンパチやってたのは、イスラエルとガザ地区。
じゃぁパレスチナ自治区の西岸は安全なのかというと、そうじゃない。
実は沢山の問題と、そこに住む人の悲しみがありました。
ここでは、どうしてイスラエルの国ができたのか、パレスチナ自治区は2箇所に分かれている。
という所を知ってもらえればOKです^^
どうでしょう?なんとなくわかっていただけたでしょうか?
次のブログでは、実際にパレスチナ西岸地区に行った記録を書きます。
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